先輩が昇進しなかったときの気持ち

冷たい空気が頬を刺すとき

そっとニット帽を被るのです

心が寒くならないように

せめてあたまを守るのです

わたしの目はいつもそうです

だれかの目を見ています

見てほしいと願うのです

見てもらえると信じているのです

見てもらえなかった誰かをみると

切ない気持ちになるのです

わたしもそうなるかもしれないと

ふと首をもたげてしまうのです

堰を切ったようにわたしはおもむろに

わたしの目を探し始めるのです

わたしの目はだれかの目を見ていて

そして誰の目も見ていないことに気づくのです

わたしはどこへ向かいたいのだろうか

わたしに聞き始めるのです

わたしはすぐに答えてはくれません

だれかに聞き始めたりもするのです

わたしはふと気づくのです

わたしが本当に見ていたものに

それはわたしが考えてもいなかったことなのです

戸惑ってしまうこともあるけれど

それがわたしと知るのです

モヤモヤ 妻に 

ある人に対して、ここまでざらついた気持ちになるのには、いくつか理由がないといけない。

 

妻は、やりたい気持ち、欲に素直に生きるべきだ、というような人のマインドを整えるお手伝いをして、生計を立てていこうとしている。

現状、生計は立っていない。むしろ貯金や私の稼ぎを切り崩して、自分のやりたいことにお金を投資している。

 

私が彼女を見る限り、心が整っているように見えない。素直な気持ちを出す結果、子ども関連のあらゆる雑務をしたくないしたくないと家の中でしょっちゅう嫌な気分になっている。外部に対して声を上げるわけでもなく、矛先は私に向かう。確かに、私ももっともっと、現状よりも家事育児に精を出すのが彼女には良いと思う。客観的に見ても彼女と私は6:4か、6.5:3.5くらいの比率で家事育児に時間を割いていると思う。

なぜこんなにモヤモヤするのか。

こんなことがあった。

私が仕事で遠出していて、夜ご飯を妹と食べていた。そのときに、妻から連絡がきた。断水してしまい、お風呂に入れない、食器も洗えない、と。私が管理会社とやりとりしていたことがあるから、管理会社に連絡して、と。もちろん一大事だから連絡した。

そのあとも、水が使えないとかやばすぎる、管理会社に電話かけたら修理に向かってるらしい、子どもたちも暴れてる、などと来て、あげく、私が妹と食事していると知りながら、お仕事中ですよね失礼しました、と皮肉を投げかけてくる。

あぁ、このやりとり、コロナ前に私が毎日出勤して夜遅くまで仕事していたときは、ほぼ毎日こんな感じだったなと思い出す。

トラブルが笑い話になることがほとんどない。特に、私が仕事をしていると、このような報告が矢継ぎ早に飛んでくる。飛んでこないこともあるが、飛んでくる印象が強い。

 

私はこんなにちっぽけだと思ってしまうのは、妻が小さな部屋を仕事部屋にしたいから買いたいと言って室外機付きエアコンを全然使わず、そのお金も結局私が払ったことである。それくらい、と思うけれど、彼女が稼いだお金は一円も家計に入れないが、私の方はこういうのも負担すると、それが不公平と思う。

妻は夢を追い求めている、だからまあそういう時期もあるんだ、かえって小さくまとまらなくていいと思うものの、稼がないことにモヤモヤする。それでいて、彼女は今の家が古くて嫌だとか、もっとリゾートに住みたいなどを言う。

最近はイライラして、特に上の息子に当たり散らす。金切り声が聞こえることが苦痛になってきた。そういうものなのか。

一つ気になると全部が嫌になる。

私は私ができることをする。嫌ならやめる。他人のせいではない。

 

 

モヤモヤ 子持ちの父親として、妻に

モヤモヤした感情を、定期的に抱えてしまいます。

妻に対してです。

私は、小さい子どもがいて、妻もいる核家族です。互いの両親は遠方住まいのため、どうしても夫婦で子育てしなければなりません。

日頃からややモヤモヤすることがあり、それは自分に対してもそうなのかもしれませんが、妻と関わるときに圧倒的にモヤモヤしてしまいます。

その一つが、お金の事です。

お金のことは、なかなか人様に話しづらいので、つい誰にも話せないのですが、匿名であればえいやと勇気も出るものなので、ここで概要を書いてみます。

お金、その言葉で受けるイメージは人それぞれですが、私は、生きていくために必要なものと思っています。

もちろん、自給自足であったり、なにか資産があってお金を使う必要がなかったりするかもしれませんが、私は労働者で、毎月のお給料がなければ家庭を維持できないため、やっぱりお金は大切です。

近頃は、共働きも増えてきました。私の小さい頃は、多くのお母さんが専業主婦で、共働きは珍しかったのですが、今や専業主婦の方が珍しくなっています。

そんな中、私の家はというと、私は労働者で、妻は自営業です。私は毎月のお給料をもらい、妻は自分で稼げばその都度お金をもらいます。

ただ、今は事実上、妻はほとんど無収入で、たまに入る少額のお金も彼女のお小遣いになっています。

家庭の生活費は私の給料から全て出していて、彼女へのお小遣いもそこから出しています。

彼女には、夢があります。LAの豪邸に住むという夢、年商をゆくゆくは10億円にする夢。しかし、今の時点ではほぼ無収入です。

彼女は元々定職に就いていましたが、育休を機に自営業でやりたいことを見つけました。準備期間を経て、彼女はビジネスを始めたのですが、最初は少しずつでも収入はあったものの、今ではほとんどありません。

彼女には憧れの女性経営者がいます。その人のオンラインサロンで、自営業として年収を上げるための講座に100万円を費やして入りました。そのお金の原資は、子どもの学資保険でした。元々解約するつもりでしたが、それは子どものためだからと貯めようとしていたところ、その講座を受けたいとのことで、留学後でもあって他に原資もなかったので、それを充てました。「もし一年で返さなければ何をしてでも働いて返すから」と妻に言われて、そこまで言うならとオーケーしました。私も私の留学に妻を付き合わせて、散々お金が無くなったので。

ともあれ、妻はその講座を受けて、何かを学んでいるようです。まだ成果が現れるのは時間がかかるのかもしれません。

私は、こんなときに、売れないバンドマンの彼氏・彼女のことを想像します。自分はまさに、妻の夢を応援するやつなんだと。頑張っているし、夢は大きいし、自信もあるようだし。

基本的には応援したい気持ちがありますが、どこかでこうも思ってしまいます。「そんなことどうでもいいから働いてお金稼いでくれないかな」と。

もちろん、自営業で、オンラインビジネスで、すぐに結果は出づらいと思います。まだ待ちの時期で、温かい目で見守れたらと思います。しかし、妻が「来年にはすごい額を稼ぐ」とか、「将来は豪邸に住む」などと言うたびに、私は妻に対して、「人生を舐めるなよ」とか、「結果を出してから言ってくれよ」とも思ってしまいます。

まして、日々の家計はやりくりが大変で、借金の返済もあるので、使えるお金は限られています。子どものために使いたいお金もあるから、自分たちに使えるお金は多くありません。

妻は、大きな夢を語ります。その夢を聞くたびに、私は彼女のことを心の芯から馬鹿にしてしまうのです。早く、結果が出ないと気付かないかなと。

特に私がこのことを感じてしまう理由は、妻が、悩める人の心を整えることをサポートしようとしているからなのです。その妻は、昔ほどではないものの、些細なことで怒りますし、自分がやりたくないことはとことんやりたくないらしく、細かい指摘を日々私にしてきます。私も、昔に比べたらはるかに家事育児をしているものの、日中仕事をしていることもあり、妻ほどは家事育児をできていません。が、そのように私に文句を言ってくる様子を見て、全く心が整っていないように見えて、そんな人に相談したい人なんているのだろうかと訝しんでしまうのです。

そういう私の態度が引き寄せるのでしょうか、私の親と会ったとき、親から私に対して、「あなたの妻はどうしてるの?自営業?うまくいってるの?うーん、現実を見てほしいね」と言われた時、私は思わず拍手をしてしまいそうになりました。

ただ、私も、自営業の厳しさは知っていて、それでもなお挑戦する妻のことをすごいとも思います。しかし、妻が今何も職がないことが、私を不安にさせ、無収入であることにも私を焦らせます。妻は妻なのですが、その妻が稼げないのは何に問題があるのか、そもそも自営業が難しいのか、はたまた妻に経営上、または別の問題があるのか。

妻は、SNSもしています。それにハマる時が一定の周期であって、ハマっているときは子どもの話も聞かずに、今忙しいと上の空になります。それは私もなることなのですが、妻は「家族の時間が第一」と公言しているだけに、定期的に訪れるその様子を見て、「こんなふうになるなら、そんなこと公言しないでよ」と思ってしまいます。

 

最近の衝撃的な出来事で言うと、子どもが家出して、それをすぐに妻が追いかけなかったことです。

私は出張先から家に帰っている途中、妻から、「今子どもが家出した」ときて、その10分後に「探しに行ってくる」、そしてその5分後に「見当たらない、どうしよう」と続けて連絡がきて、そこでようやく私は連絡に気付きました。

私は、まさか家出した小さな子をすぐに追いかけていないと思っておらず、移動中の新幹線でパニックになりました。どこに行ったかもわからず、私にはどうしようもできず、最悪の事態も想像していました。

その後、無事に子どもが見つかって、ホッとしたと同時に、妻に対して抑えきれない呆れる感情が湧きました。どうして第一優先順位の子どもを、そんなふうに扱えるのかと。

確かに、自分1人でその場にいたら、妻と同じような態度をとってしまうかもしれません。私には分かりません。しかし、そのようなことが起こったことに私は強い衝撃を受けました。

その後、私は妻としばらくうまく口が聞けず、疲れもあってすぐに寝てしまいそのことが妻を怒らせました。私の気持ちをはっきり伝えられていないのは私の落ち度ですが、私の気持ちは彼女を許せていません。

 

お金のこと、仕事のこと、家族のこと。

場合によっては、ここで離婚もあり得るなと思いますが、私はどうしても子どもが大好きで、関わりたいため、まだ離婚は選択しません。

しかし、このようにして、知らず知らずのうちにコップの底に檻が貯まるように、私の無関心は募っていくのです。

 

 

 

 

 

飲み会が嫌い

職場の飲み会が嫌いです。

こういうと、わがままなのでしょうか。

私がなぜ職場の飲み会を嫌いなのか、理由を4つにまとめてみました。

 

理由その① 社内の人と話しても驚きがない

主に、同じ島とかグループだから、と普段から同じような経験をしている人たちが集まって話しても、なんのサプライズもないことが第一の理由です。

内容が大体予想できて、仕事に関する話を職場外ですることにもストレスを感じてしまうのが私です。

どうせ話すならば、もう少し人生に広がりを感じられるような話を聴きたいし、こちらも話したい。そうなると、わざわざ気を遣って、何の驚きも広がりもない話を聞くために、数時間も同じ空間にいることに、意義を感じられないのです。

普段話せない話ができるのが、職場の飲み会なのかもしれません。ただ、それを職場の人としたくないのが私なのです。私は、共に時間を過ごすことを貴重なことだと捉えていて、だからこそそれを無駄にしたくない。普段話せない人と、普段は話せない内容を話すことが好きであれば職場の飲み会は素敵だと思います。私がそう感じない、ということです。

 

理由その② ランチでいいじゃん

職場の飲み会、といえばランチではなくディナーになります。

しかし、私の仕事は日中仕事で夜は基本お休みのため、ディナータイムはプライベートの予定もあれば、忙しかったりもします。それでもなんとか、夜の都合をつけるのですが、そこまでして参加したくないのが本音です。

 

理由その③ コース料理とお酒が好きではない

こういうと身も蓋もないかもしれませんが、自分の気分でご飯や飲み物を決めたい身としては、コース料理は、たとえ自分が幹事だとしても、嫌です。既に決まっている、量も内容も、それが嫌です。特に、私は、ワインに合うとされるコース料理が好みではありません。単純にそれはわがままです。お酒も、できたらレモンサワー一杯で終わりたい私からすると、ビールやスパークリングワインで乾杯を始めるのは苦痛です。

 

理由その④ 多くの人がいるのが嫌

結局、各テーブル4〜6人くらいで落ち着いて、それなりにしか話せないため、10人も20人もいるとただ疲れてしまいます。声を張り上げなければ聞こえないような会場も多いので、飲み会中は頑張ってしまって、終わった後に疲れている、ということも多々あります。

 

以上が、私の場合です。

と言いつつも、楽しかったな、と思うこともあるのですが、総じて疲れの方が強くなってしまうので、私は飲み会は極力避けています。昔は行っていましたし、今も付き合いで避けられないときはあります。コミュニティから外れてしまうことを恐れる気持ちもあります。その価値観はこれから変わるかもしれませんが、現時点において、私は飲み会ノーサンキューです。

 

 

 

 

 

 

 

 

電車とヒト

とにかく、東京駅とか、都内の主要なJRの駅に1時間程度で行けるところからの上り線のヒトの多さったらない。

駅に着くたびに、息を吐き出すようにヒトが降りて、それより多い息が入ってくる。こんなに息を溜めちゃって大丈夫かしらと心配になるほどに、電車はヒトをパンパンに乗せる。

ヒトがたくさんいるんだからさぞかし交流があるものかと思うとそんなことはない。ヒトとのスペースは確かにとっても近い。そのヒトと話すことはない。毎日、長時間を共に過ごしていたとしても、それぞれの世界に夢中で、肩を触れ合っているヒトのことは構わない。

前は紙の新聞や本を読んでいた。ちょっと前は音楽を聴く人がいた。今は携帯電話を見る人が多い。昔も今も、目を酷使しているようだ。

抗いたい気持ちが避けられなくなり、私は目を閉じた。目を閉じると、電車が思いのほか揺れていることに気づいた。電車が線路を越える音以外は、何にもしないことがわかる。これだけのヒトがいることを忘れさせるくらい、ヒトは押し黙っている。

沈黙を押し破るように、次の駅への到着を告げる機械音声が明瞭に聞こえる。ただ情報だけを伝える機械の声が。駅のホームで、くぐもったヒトの声で、次の駅の情報が伝えられる。初めてひとの声を聴いた気がした。

耳を使うと気持ちがいいな。両の横を見るとヒトが座って寝ている。

ヒトと私。さあ今日も生きていく。

映画 名探偵コナン黒鉄の魚影と多様性

ちょうど友人と話していた。

「日本のアニメやテレビは、無意識のうちに男らしさ、女らしさ、異性愛、日本人であること、障害がないことが前提のストーリーになっている。いつのまにかそれが当たり前と思わされてしまう。」

思い当たる節が、名探偵コナンの漫画を読んでいても思うことがある。異性愛がかなり強く、同性愛が出てくることは極めて少ない。もし、影響力のある名探偵コナンでそういうものが出てきたら、と期待して、レイトショーで映画を観た。

人種差別を無くしたいという動機が出てきていて、そうと思うと国籍による差別のような発言もあって、現実世界を映し出そうとしているように見えた。

名探偵コナンでも同性愛が真正面から描かれるようになる。

そんなことが起こりそうな予感を感じた映画。

 

暗いときの気持ち

なぜだか無性に辛くなり、その気持ちが止められなくなり、どうしていいかわからずもやもやする。これがこの瞬間の私のことだ。

 

なぜそんな気持ちになるのか。

仕事でのプレッシャー。今は土曜日。月曜日までにやらなければならないものがあって、それをすることに妙に辛い気持ちになる。

子どものプレッシャー。子ども2人と土日は遊ぶと決めたが、今日が辛い。朝から子どもだけそれぞれの自転車に乗って、私は小走りで公園に連れて行く。相当な距離を走って、スーパーに寄って、疲れたと騒ぎながらもお菓子を買って帰宅。昼ご飯の用意をしていると、下の子が泣いて飛んできた。上の子がハサミで指を切ろうとしてきたと。上の子に本当かを確認した後、それは大変、と言うと、大声で泣き出す、暴れだす。落ち着いた後、下の子がうんちをしたいからオムツに履き替えたいと。下の子は普段パンツを履いておしっこはトイレでするが、まだトイレでうんちができない。そのオムツを替えるのが、最近嫌になってきた。最初は頼られていて嬉しかったが、2年間もやっていると、もうそろそろオムツでしてほしい。おしりふきも自分ではやってくれない。今朝も2回それがあって、お腹が緩いのはかわいそうだが、3回目になって、私はもう嫌だと思ってしまう。自分で替えてくれることは決してないから、せめてお尻を自分で拭いてくれと言うとそうしたが、拭ききれておらずにおしりから拭ききれなかったうんちが落ちて、トイレの床がうんちまみれ。

妻のプレッシャー。昨日から妻は、60万円のオンラインビジネス講座を受けたいと言い出した。今を逃すと受けられない、これまでもずっと受けたかった、この主宰者のことは2年前からずっと好きだから受けたい、それを受けなければズルズルといってしまう、自営業のオンラインビジネスを軌道に載せたい。妻は今、家計に入れられるお金はない。なぜなら会社員の仕事を辞めて、自営業になったが、固定客と呼べる人はおらず、収入より支出の方が遥かに大きいから。また、ここ2年間は私の都合で海外にいて、そのときに「生活費はあなたが稼いで。私の収入は私の事業に使う」との約束で、妻が稼いだとしても家計に入れられない。そのオンラインビジネスの60万円を何から出すか。我が家に蓄えといえる蓄えはないが、保険の解約返戻金はある。それを元手にすればいいじゃんと嬉しそうに話す妻。先日まで、お金を貯めよう、解約返戻金は子どもの学資保険でもあるから子どものために投資信託に入れようと言っていた。60万円は稼いで返すという。私は返さない債務者を見てきたから嫌なのか。

 

妻のお金のことで私はもやもやしている。今日お菓子とお昼ご飯の具材を買ってきたとき、妻は、「そんなの買ったら子どものレインブーツ買おうと思っていたのに予算なくなるじゃん」お金があれば悩みのほとんどは解決することが多い、というがそのとおり。

 

妻は昼前から友人に会いに出かけた。正直早く出て行って欲しかった。その間はその間で、子どもが家で騒ぎ続けた。

ほとほと疲れてしまった。昼ご飯のあと、布団に子どもたちと一緒に入って、私だけ寝た。寝ている間はこの現実から離れられる。しかし妻の帰宅で起こされた。妻は友人と話して、どうしても60万円の講座を受けると決めていた。カードローンを使ってでも。同じく自営業で稼ごうとしている人のコミュニティに身を置くことで成長して早く1000万円以上稼げるようになりたいようだ。そういえばこの間、妻は、「私は

お金を稼ぐことを目的にするとうまくいかない」と言っていて、彼女は矛と盾をぶつけているように見えた。

 

そんなことを昼下がりに考えていると、ふと有名人が一家心中を図ったとの報道が目についた。その後、無性に、この人生が辛く、心がソワソワして、どうしようもなくなってしまった。

そんなことで?そんなことで、なのだ。

ほっておいてもしょうがないから、私は自分の気持ちを書いて残すことに決めた。そうすることが私を本当に落ち着ける唯一の方法だと知っているから。

救いはない。自らの気持ちを見つめないかぎり。